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オナニーと健康被害
  「オナニーには害がある」という言明があるが、その内容を読んだ限りでは、「オナニーにはその快楽を補って余りある弊害がある」と言ったほうが適切であると思う。
  ここでは、その言明に対する反駁を行う。


(1) その弊害がただオナニー(onanism)だけによるものであるという先入見がないか。
   (a) その弊害は、オナニー以外に由来するものかもしれない。(オナニーをしている者が害を被っているというのが事実であるとして、そのことのみからオナニーは弊害を生じるものであるということは帰結しない。言い換えれば、オナニーをしている者の集合とオナニーによるとされる害を被っている者の集合という2つの集合を想定することができる可能性がある。)
   (b) その弊害は、オナニーと他の何かの組み合わせにより発現するものかもしれない。
   (c) オナニーは害を生じるという思い込みが伝播し、それが根づいたため、オナニーをする者は、その思い込みが原因の害を無意識のうちに発現してしまっている可能性がある。(想像妊娠的結末)


(2) (1)を論証するには、現状では当然のことながら演繹による必要があるが、仮に帰納的方法を採用したい場合は、オナニーをしているすべての者を調べる必要がある。しかし、未来にオナニーをする者が現れたならば、彼も含まれなければ絶対確実に正しいかどうかが判明しないため、原理的に人類が滅亡するまで検証が続けられなければならなくなる。人類が滅びた後にいったい何ものがその検証の結果を受け取ることができると言うのであろうか。


(3) 「オナニーにはその快楽を補って余りある弊害がある」(「その快楽を補って余りある」の部分は「重大な」その他の表現でもよい)と言うが、他者が感じる快楽と弊害についての自らの感覚による言及(「重大な弊害」という場合も同様に考えられる)はいかにして絶対確実に正しいと言えるのか。
   (a) 感覚については時空を超えて人類の間で統一されるのが正しいという主張、さらにそれに追加してそうでなければならないという主張、もしくは現在の科学理論では人類の間で正しい1つの感覚があるとなっている(実際にそうなっているかどうか私は知らない)のであるから、現時点ではその理論が正当化されるという主張のいずれかを行っているのであろうが、私はそれ(ら)が絶対確実であることの論証を要求しているのである。


(4) そもそも、その弊害なるものが現象したという認識が絶対確実に正しいというのはいかにして論証されるのか。


(5) 当該主張の背後には「弊害があってはならない」という価値が潜んでいるが、その価値はいかにして論証されるのか。
   (a) 反オナニー論者の言う弊害のなかには「容貌が醜くなったり、禿げたりする」ということを挙げる者もいるが、その場合、そうした弊害が行為者としての受け手によりつくられている可能性を考慮せよ。(受け手が、容貌が醜い者、禿げている者を拒絶しなければ、反オナニー論者が「オナニーを続けるならば攻撃するから覚悟しておけよ」と脅しているかに私には思える弊害は成立しないということである。またここには、(4)と同様に、容貌が醜い、禿げといった認識が絶対確実に正しいかといった問題もある。)


  なお、わざわざ言うまでもなく(しかし誤読する人がいる可能性を考慮して言うが)、上記の問いの背後に「オナニーに弊害はない」という主張はない。(「寄らば切る」という言明のみから「寄らなければ切らない」が帰結しないことと同様である。)

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作成日 2007年9月16日



関連項目

A 懐疑論とその限界
A 論理の重要性についての1節
B 「世界に一つだけの花」についての反論者への問い
B ファスト・フード店にて
C 予言の独断的前提