Wikipediaによれば、懐疑論は虚無主義に通じると考えられていた時代もあったらしいが、すべての懐疑論が虚無主義と繋がっているのではない。
たとえば、ある対象についての一対の懐疑を考える。
◇〜が正しいという信念 を正当化することはできるか。
◆〜が誤っているという信念 を正当化することはできるか。
いずれも前者〔空白以前の部分〕は感覚や感情であり、後者〔空白以後の部分〕は理性である。言い換えれば、上記の問いは感覚や感情に対して理性による判定を下すという図式となっている。
ここで、いずれもが論証できない場合において、その信念(あるいは命題)の真偽はない〔答えが知り得ないのではなく、答えはない〕ととるか、真偽は原理的に決定し得ないととるかによってその後の展開が変わってくる。前者の場合には、理性は退場を余儀なくされるために虚無主義に至るが、後者の場合にはそうではない。 |
|