建設的とか生産的とかいう語を好み、非建設的とか非生産的とかいう語で他者を攻撃することを好む者(言わば建設大臣)は独断バカである。
あることが建設的、生産的なことであると言えるためには論証が必要であるし、彼らが前提している、建設的、生産的なことが善であり、非建設的、非生産的なことは悪であるという規範(善や悪の定義によっては自身の議論に対する攻撃になりかねないことに注意したほうがよいかもしれない)が正しいということを示すにも論証が必要であるし、建設的、生産的なことをしなければならず、非建設的、非生産的なことをしてはならないという信念が絶対確実に正しいかどうかについても論証が必要である。
そして、これに対して常識を持ち出して片づけようとする者は、絶対確実かどうか分からないことを絶対確実であると思い込んでいる独断バカであると先に指摘しておく。
建設大臣はまた、自らが建設的、生産的であると思い込んでいるものの正しさを疑わないにもかかわらず、建設的、生産的でありさえすれば議論が誤っていたとしても問題はないとする、言い換えるならば建設的、生産的であることを教条とする自己論駁的な立場に立脚してもいる。 |
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